後藤真希という意志体

今回のツアーですが、本サイトの方で書いた初日のレポートは「LIKE A GAME」以降3曲の部分だけに触れて、ポイントを置いて書きました。
これは目まぐるしく、ジェットコースターのように緩急の付けられたセットリスト全曲について自分なりの解釈を述べるのが到底無理で、正直なところ構成の真意が判りかねているといった理由もあったのですが、やはり取り上げた3曲の部分に一番インパクトを受けたし、ここに彼女の意志を強く感じたからなのです。
「愛ってどんなXXX?」では、
PLAY UP 輝け 栄光
PLAY UP まっすぐ 行こう

の部分でフリの変更が見られます。上手く書けないのですがポイントは片腕を上げて行うアクションで、自分はそこにプロパガンダを感じました。
例えるなら要素的には娘。の「ザ☆ピ〜ス!」をソロでCOOLにしたと言えば判っていただけるでしょうか?彼女は歌詞の内容を観覧者に伝え広めるシンボルで、上で取り上げた部分などはドラクロワ自由の女神を連想してしまうわけです。
シンボルというのは形骸化しやすく、実際この歌詞も彼女自身によるモノではなく、あくまで彼女は歌うたいなのですが、今の彼女の意志は正にこの歌詞そのままで、彼女自身が体現する先導者になっていると感じたのです。
これはメロンの「ガールズパワー・愛するパワー」などにも通じるのですが、彼女に合わせて大勢のファンが片腕を上げて同じアクションを取る様は忠誠だとか賛同を示す礼のように感じられ、テキストの方では支持するといった表現を使いました。
・・・と長くなってしまいましたが、もし自分が上のような企画を立ち上げるなら、上記のような理由でこの曲の部分でといった願望があります。
この部分のフリがファンの側でマーチの如く揃えばそれだけで壮観だろうし、掲げる手首に色を統一したリボンがくくられていたりしたら、ファンの彼女に対する賛同だとか絆のようなものが表せるのではないかと思うのです。
もちろんコンサートには一見さんも多々居ますし、意志がそこまで統一されると言うのはある意味おかしな光景だと思います。彼女を応援する気持ちは同じでも、支持する側面は違って当たり前ですし、逆にそうでなけれがおかしいとさえ思います。
ですからもしかしたら、上で取り上げさせていただいた、ある意味形骸化しかけているサイリウムの企画にしても快く思っていないファンもいるかとは思うのですが、その一瞬、一曲だけはマイ観覧スタイルを封印してもらって、その企画を通して、彼女に対する感謝や支持といったモノをそれぞれに表してもらえればと思ってます。