現場(コンサート)に足を運ぶということ

最近巡回先で上記のようなテーマについて触れられているサイトが数カ所あり、自分なりに色々と考えてみました。

で、自分の場合一つの結論として「もっと感じたい、もっと知りたい」もう少し詳しく書けば「対象を目の前にして呼び起こされる自分の中の本能を感じたい、リアルな側面を認識、確認したい」というのが一番の理由だと思っています。

普段、あれこれと思いを巡らせてテキストを書いているのですが、言葉を重ねるほどにそれらは陳腐で意味のない上塗り作業のように思えてくる時があります。

なぜそう思うのかといえば、特に自分の場合は現実的な側面ばかりを追っていて考察にもリアルな整合性を強く求めているからです。

データを取って結果が表れるような部分に関してはそういった努力を惜しまない方のテキストで知識や認識が補完されますし、人によってはハロモニや雑誌のインタビューからだけでも多くの人を納得させ惹きつける文章が可能です。しかしながら自分にはどちらの能力もなく、だからといって今のスタイルを変えたくもないのです。

コンサートに行くと、まずそのアーチストのリアルな部分を肌で感じる事が出来ます。
例えば激しい曲を1曲唄うだけでかなり息の上がってしまうなっち・・・それだけ切り取って書き出せば彼女にとってマイナスになりそうな事ですが、はぁはぁとした息づかいにも関わらず笑顔を絶やさずトークする様を現場で目の当たりにすると、それも彼女の個性であり、カワイイ部分と認識するのです。
シャイニング デイの最後であややが見せた天性のアドリブ・・・そこには決してテレビでは見れないリアルなあややを感じることが出来るのです。
そういったモノゴトを見て、聴いて、感じることが自分の中にあるその人物のリアル像に肉付けをしてくれて、そのことが嬉しかったり満足だったりする訳です。

もう一方で、そういった認識、考察といったモノがばかばかしくなる、そんな事にこだわる事がばかばかしいと思える瞬間がコンサートに足を運ぶと起こります。
ここで具体例は避けますが、そういった状態の時の自分は高揚感がMAXに近く、気持ちよい瞬間であるという事だけは間違いありません。
プラス、マイナス、全ての思考、感情を包み込んでしまうような、そういった事が全て意味のない事のように思えてくる(実際意味なんてないと思う)瞬間・・・それは上に書いた事と真逆な関係で、同時には起こりません。しかしそのどちらも体験することで自分は対象の人物をもっと好きになるのです。

実際には色んな外的要因が加わってもっと複雑になったり歪められる部分も出てくると思うのですが、根本の部分というのは以上のような感じです。

ちなみに最近のハロプロ勢のコンサートは主催者側のはっきりとした姿勢だったり意気込みが感じられるモノが多くなっていると思います。
ですからそういった部分を感じたり受け止める事で対象人物の意志をかなり明確に感じることが出来るのではないかと思っています。