記号性

melon_kinenbi2004-08-04

個性のように見せかけながら実は判別の道具でしかない表現、自分はそんな記号性をあまり良しと思っていません。
辻加護には娘。時代からずっとこれが付きまとっていまして、それが彼女たちのキャラクターを強く押し出す手助けになっていると認識しています。
そんなモノ無くても十分個性的な彼女たちが、こういった部分である意味拘束される事を自分は正直な所あまり快く思っていません。
例えば今だと、加護はウェーブを強調したタマネギヘアー、対して辻はストレートな前髪を強調したパイナップルヘアー、リボンも相まって、同じような背丈の二人であっても観客は一瞬にして2人を判別出来る事でしょう。
デュオという売り出し方なのだからそういった戦略をとって当然なのは判りますが、だからこそ自分はデュオという売り出し方に抵抗を覚えるのです。
2人は十分に知名度があり、名前を覚えてもらうのに必至な初心者の時期は過ぎさってしまったと思います。仮にWとしての知名度を獲得したいとしても、そういった手段を使うのはいい加減止めてくれと思ってしまう*1のです。

*1:断っておきますが、これは極めて個人的な趣向の問題です。それが好きな人も多いわけで、だからこそ事務所はその方針を引っ張っているのでしょうし、これからも続けるのでしょう。だからこそ、自分は全くこのユニットに興味が沸かないのです